FC2ブログ


旅の記録、日常の記録、ふと気になったものたちなど、そんなものを切り取ってみた
浅草~墨田、自分のルーツ探し?!
dd20080820-02.jpg

昨日書いたように、遺産相続をするために、父親の戸籍を生まれてから直近まで追わなければいけない。理由は隠し子がいると、法廷相続人が確定しないから。そこで、我が家の本籍地である品川区役所で、懇切丁寧に、その作業について説明をしてもらった。

父親の場合、品川の前が「本所区菊川」が本籍ということで、この本所区というのは今の墨田区なんだそうだ。そこで、墨田区役所に行って、父親の戸籍を追跡しなければならなくなった。

幸い、墨田区役所が午後7時までやっているとうので、会社帰りに登記簿謄本をもらいに行ってみた。

まえから本所深川の出だと聞いてはいたのだが、現在の菊川は、清澄白河よりちょっと北側。森下と住吉の間という感じ。浅草からするとずいぶん南で、むしろ江東区である門仲から北上したほうが近い感じだが、行政管理区域としては墨田区なのだということから、浅草まで出なければいけない。浅草から川を渡るとそこが墨田区で、墨田区役所も、かの有名な黄金のオブジェが輝くビルのそばにある。

dd20080820-03.jpg

今回の作業はなんだかまるで自分のルーツたどりの作業をしているみたいな感じだ。なんなれば、父親の戸籍謄本を追っていくと、戸籍の筆頭者である僕の爺さんのところにたどり着くからだ。

僕の爺さんは、本所とか両国とか、このあたりを塒にした遊び人だったらしい。そんな話はまえから聞いていた。爺さんの本名は池上という。池上というのは、どうやら江戸幕府の要職にいた由緒正しい武家の家柄らしいけど、爺さんはいわゆる三男坊で、三男坊といえば、時代劇でも、家督も継げずにふてくされて町で狼藉を働くいやなやつに成り下がるのだが、実際にも素浪人になったり遊び人になったりするらしい(笑)。だから、婆さんと一緒になって別の家に養子に入ったのだとか。

その養子先の氏を僕も名乗らされることになったというわけらしい。

三男坊なのになぜ爺さんが「一郎」という名前だったのかという謎は、今となってはもう解決しない。したがって、僕が引き継いだ氏の素性ももはやまったくの不明ということだ。今の氏については、血も何もついでいないので、感覚的には「失礼ですがお宅様はだれですか?」という感じだ。戸籍が作られて80年で保存年限が切れるらしいから、今となっては爺さんの戸籍は追えないし、ましてや、この氏についての素性は追うべくもなく・・・。

ちなみに関東大震災で一部戸籍が消失しているという証明書が付いていた(すげー)。

ともかく、こうして、今僕が名乗ることになった氏の家督をついで(隠居届けが出たから家督を継いだなんて記載が戸籍にあって、おお、そんな時代だったのかと、ちょっと感動。)、国技館のお土産屋をやってたらしい爺さんは、相撲の巡業にあわせて全国行脚してたらしい。そのとき一緒につれて歩いてた手伝いの女性と出来てしまって、最後は、そのおめかけさんの家で酒飲み過ぎて脳溢血で死んだらしい。わが家系にしては、なかなかの人物。僕にはまったく爺さんの記憶がない。

dd20080820-01.jpg

それにしても、これは一体全体なんて家系なんだと、ちょっと驚く。婆さんの家系の林家のことは皆目わからない。

これは母方の家系とは大きな違い。須坂藩御殿医の家系で、明治から大きな製糸工場を営んでいた母方の爺さんとは、雲泥の差だな。インテリな資本家だった。実際、母方の祖父の兄弟は医者になり、その子孫はいまでも医者を継いでいるらしい。出来ればこちらの家系を継ぎたかったものだ。

いずれにせよ、我が家は両親とも末っ子だなので墓を守ることもなく(だから今になって墓を作らなければならなくなった・・・。)、家督を継ぐこともなく・・・。

もはや家系に縛られることはないわけだが、今回こんな作業をしてみて、曽祖父までしか追えない家系ってなんだろうなあと・・・(笑)。

自分の前にはたくさんの人たちがいて、それらの人たちのDNAをなんらかついでいるのにも関わらず、どんなDNAだったのかもわからないというのは、少しばかり悲しい気もする。数千年も家系が明らかになっている天皇家とは雲泥のさだね。皇太子と誕生日が一月しか違わないのに、この差はなんなのだろう。

まあ、親を選んで生まれることはできないので、こればかりはしかたがない。でも、名前ぐらいは自分で選べるといいのにねえなんて、ちょっと思ってしまった。

コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック