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旅の記録、日常の記録、ふと気になったものたちなど、そんなものを切り取ってみた
過去への恋文
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ふと思うのだ。

とても多感だった大人になる二歩ぐらい前の、自分のことしか見えなかった、いや、自分のことさえ見えなかった少年が、それでも確かに見たり触れたり、感じたりした、多くのものごとを、こうして振り返っても、もはや陽炎のようにぼんやりと儚くしか思い出すことの出来ない喪失感。

僕はそんなにあれから遥か遠くまで歩いて来てしまったのだろうか。
敗北感や喪失感にさいなまれながらも、愛すべき日々は沢山流れていたはずなのに。

あんなに沢山の日々を過ごして来たというのに、大人になった今も、覚えているのはどれと、どれと、どれだろうか。忘れ去られてしまったのは、どの愛しさ、どの淋しさだろう。

沢山の嬉しさ、愛しさ、悲しさ、淋しさが確かにあったはずなのに、それらの、沢山の輪郭すら失われてしまったぼわぼわした感情は、この世界のどこかを今もゆらゆらと漂流しているのだろうか、と。

それでも、そんな中で君のことを確かに見つめていたという思い出があることは、大層幸せなことなのかもしれない、と。

そして、社会人になってからの人生の方が既に長くなってしまった今の僕の大部分を形成しているあれこれ(家族、家、地位、多くの友人関係等)は、やはりそれ以降の人生で形成されたもので、そんなあれこれに今の僕の日々は依拠しているのだけれど、それでも、もはや陽炎になってしまった失われた日々に形成され蓄積された思いが確かに僕のコアな部分にあって、少しの感情の水面にそんなあれこれが時々小さな小石を投げ入れて、僅かな波紋を作り出しているのは、なんだかとても僕らしいことだな、と。

余り思い出すことの出来ないあの頃に、今の10年以上に匹敵するほど沢山の物事を経験し、感情に左右され、少しずつ大人になるための準備をしていたはずのあの頃の自分を、今は何だかとても愛おしくも思えてしまうのは、やはり年齢を重ねてしまったからなのかもしれない。

色々なことを知り、小さな棘も取れた今、こんなにも穏やかに、でも多少の淋しさや愛しさを持ってあの頃と対峙出来るのも、みんなあのころの君のお陰だ。本当にありがとう。

それでも、あの頃に戻って、あの頃の自分に会えるのなら、一言伝えたい。
自分の恋する気持ちを信じてその気持ちをちゃんと相手に伝えなさいと。
そして時間をかけてそれを育てなさいと。

いまもどこかで生活している君にとって、今日も素敵な一日でありますように。

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