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旅の記録、日常の記録、ふと気になったものたちなど、そんなものを切り取ってみた
あしたはきのうよりも素敵な日
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言葉は巷のあちこちに溢れている。
これだけ多くの言葉が情報として垂れ流されているのだから、少しは心にとどまる言葉もあってもいいのだけれど、なかなかそんなものにお目にかかれない今日この頃。

いつから言葉ってこんなに軽くなってしまったんだろう。
昔はいったん口から吐かれた言葉は魂をもって、様々な作用をもたらした。
人を癒しもし、そして呪詛の言葉は人をも殺した。
でも、最近では紡げばつむぐほど空回りする空虚な言葉が多すぎる。
かくいう僕もあちこちで言葉遊びをしているので、人のことは言えないか・・・。

でも、心から吐いた言葉の力は信じている。
だから、このところまた再び池澤夏樹に回帰しているのかもしれない。
彼の言葉が好きだから。
彼の言葉で癒されるから。

でも、一方で、巷に溢れている言葉を拾いながらも、心になにかをもたらす言葉にも出会ったりする。
たとえば、そんな日々の中で、毎日読んでいるこれなんか、その代表例。

小難しいことが書いてあるわけではない。
感動して涙を流すようなことが書いてあるわけでもない。
むしろ、毎日の日常の小さな事柄が、心情を交えて描写されているだけ。

もちろん、年齢も性別も違うのだから、言葉の奥深くに潜む真意なんて、僕には分からないし、実はそれらの言葉に潜む物事自体、僕が思っているのとはまったく違うのかもしれない。
でも、言葉の表象に表れ出でる感覚が、なんとも素敵。
だからなのだろう、数年前からの隠れファンが続いている。

一週間前に書かれた「招福練習」なんて、本当にそのとおりだと思ったりする。

 「明日は絶対今日よりいい日!」って
 毎日がわくわく感にあふれていたのは、何歳の頃までだっただろう。

 あの根拠のない確信はどこから来ていたんだろう。

 いい日だと信じていたのに突然訪れる小さな落胆たち。
 期待すればするほど大きくなる衝撃や絶望。

                        (「パヤパヤ。きょうもいきてる。」から引用)



普通に生活していてもそんなことの多い日々。

後ろ向きに生きるのは僕の性には合っていないので、相変わらず僕は毎朝「すべてがうまくいきますように。皆が幸せでありますように」と心の中で唱えているのだけれど、それでも、そんな落胆はやってくる。

でも、これに続く彼女の言葉。

「あしたはきのうよりも素敵な日。ぜったい!」
・・・


たしかに、自分でそんな風に思わないと、そんな風に努力しないと、手探りですら歩いていけない。
だから、そうやって毎日を歩きながら、どこかで小さな幸せも拾っていたりもするだろう。

なので、小さな落胆にもまあいいかという気持ちにもなる。

仕方がないよね。
生きていればいろんなことがある。

コメント
この記事へのコメント
なんというか・・・
同感です、ハイ。
2009/01/16(金) 16:07:15 | URL | 碧眼猫 #-[ 編集]
そうですよね。是非、明日は良い日でありますようにと、願いたいと思います。
2009/01/20(火) 22:03:44 | URL | tearecipe #mQop/nM.[ 編集]
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