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旅の記録、日常の記録、ふと気になったものたちなど、そんなものを切り取ってみた
阿修羅に会いに行く
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Nikon D200, TAMRON 28-75mm F2.8 MACRO

僕は、去年一昨年と2年続けて奈良の興福寺で阿修羅を見たんだけど、なにしろガラスケースの中にこじんまりと押し込められている阿修羅は、なんだか可哀相な感じだったのだ。

だから、2月の下旬に国立博物館の「阿修羅展」のポスターが張り出されたときには、これは行くしかない!と思っていた。しかも、3月の前売り券発売のお知らせにかのみうらじゅん会長の「阿修羅倶楽部」というのがあって(笑)、そこの会員バッチがかなり格好よくて「入る!」と思ってたのだけれど、なぜか3月の前売り券購入を失念していた。

阿修羅倶楽部では、海洋堂の阿修羅フィギアが売り出されたりしたのだが、あっというまに売り切れて、今やネットオークションで十倍の値段が付いてるらしい。

実際に『阿修羅展』が始まってみると、連日大人気で、入場を待つ人たちの長蛇の列が報道されたりなんかもされていて、特に阿修羅の憂いを帯びた表情が若い女性に人気なのだそうだ。

そしてようやく念願の阿修羅展を見てきたが、相変わらずの列。

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しかし、さすがに国立博物館のレイアウトは素晴らしく、360度、阿修羅を見れるのは嬉しい。興福寺では、ガラスケースの中の阿修羅をほぼ正面からしか見れないので、後方からみれるというのは、凄く新鮮だった。

なにしろ、阿修羅は正面の顔が一番と確信してたのに、左側の顔を後ろから見ると、その横顔がなんとも可憐で美しいのだ。 ちょっときつめに見えるけど、これは確実に少女の顔だ。

阿修羅はなんでこんなに人々を魅了するのだろう。

もともと?!阿修羅は古代インドの魔神アスラが仏教に取り入れられたものだが、帝釈天と戦う存在。どの立ち位置から見るかにも寄るけれど、いわゆるヒンドゥー経では、悪者的存在なのだ。「修羅場」という言葉があるが、これも帝釈天と阿修羅が闘う場所から生まれた言葉。

確かに、その昔萩尾望都と光瀬龍のコラボ作品に『百億の昼千億の夜』という漫画があって、阿修羅が主人公として登場し、帝釈天と闘うが、なにかもっと優しい存在だった。僕の阿修羅好きはあれが原点だったなあ。


それに、僕の大好きな古代メソポタミア文明のシュメールなどに関係があるという気の遠くなるような説もある。シュメールに祭られていた「アンシャル」が阿修羅の起源だという話。その後アッシリア帝国の守護神になったというアッシュルも同義の神。バビロニアと凄惨な侵略戦争を繰り返した国の守護神である。この説は、シュメールが須弥山(スメールと発音)の類似があるので、まじめに研究されているという。

いまや阿修羅も、仏像という、仏教の信仰とはまるで違う、けれども美しい美術品として崇拝してしまうような存在。阿修羅を取り囲むようにおしあいへしあいして、信仰心など持たない人間たちを、阿修羅は、ちょっと皮肉の面持ちで見ているのだろうか。

僕はやはり奈良の秋篠寺の技芸天に昔恋したけど、阿修羅にも、こうして人に恋させるだけの魅力があるなと感じてしまう。

たった140cmぐらいの背丈。八頭身で、その体躯は少女のように華奢。腕、足、鼻は人間とは違った独特の造形である一方で、体のラインとか顔の造作はまるで人間のよう。そんなアンバランスさが魅了するのだろうか。

ほかにもカルラとか四天王とか見るべき仏像があれこれあり、阿修羅展を満喫。

いつもなら興福寺の国宝館に無造作に陳列されているのだが、流石に国立博物館の見せ方は素晴らしかったので、興福寺でもあんな陳列の仕方をすればもっと集客できるのになあなどと、不届きなことを考えてしまった。

今度は、東大寺の戒壇院の四天王を呼んできてほしいなあ。あそこの広目天は凄いと思う。

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