午後3時からからは、今回の京都来訪のメインイベントである「Cha Cha Cha Salon in ちおん舎」。

僕がホームページ担当している京都の紅茶屋さんラ・メランジェがおととしから開催しているお勉強サロンで、今回はイギリス経済史の大御所で『茶の世界史』の著者である角山先生と、小川流煎茶家元の小川後楽さんの対談なのだ。
こんなビッグなこの組み合わせのイベントはそうそう実現しないし、さらに今回は衣棚通 御池下るの町屋、ちおん舎が会場ということなので、絶対に参加しないととおもってたのだ。
で、Cha Cha Cha Salonとにかくビックネームの対談とあって、北は北海道、南は九州から、普段の3倍近い方々の参加を得て開催となった次第。
会場をうろうろしながら、先生方の顔写真をばしばし写してたが、やはり町屋は暗い。さらに雨も降っているので、これはもうフラッシュをたくしかないということで、フラッシュばしばし炊いてたのだが、どうも、電池がなかったらしく、いまいちだ。やはり室内撮影は三脚使って、ちゃんととらんといかんなあ。

まずは小川先生のお話が30分。
陸羽の茶経から煎茶への道筋をおいながら、煎茶の来た道や日本での発展の概要をお聞きした。
中国茶フリークとしては、唐代に形作られた茶の道が、その後の様々な中国国内の乱れによって日本にもたどり着いたというのは大層面白い話だった。 中国で内乱がなければ、隠元禅師も日本にやってこなかったかもしれない。そうなったら、今の煎茶道も大きく変わってたのだろうか。
ただ、一つ気になったのは、栄西が中国から持ち帰った茶が「散茶を抹茶にしたもの」であった理由が、栄西の滞在が短く、宋の茶作りの技術を導入できなかったとおっしゃった点。
それには僕なりの見解がある。つまり、宋の時代は、餅茶だけではなく、散茶があったのだということ。特に寺院では、散茶を作っていたわけで、その飲み方として、末茶と煎茶があった。
だから、僧侶だった栄西がこの「散茶から抹茶を作る方法」を持ち帰ったと考えるのが自然。でも、日本人の研究者は、宋=餅茶という風に思い込んでいるので、そういう話が出てこないのが残念だ。
やはりこのあたりは、寺院などに保存されている書物の分析が必要なんだと思うのだが、日本では研究が全然進んでいない。
宋の茶をそのまま引き継いだ元の王禎の『農書』には、
末子茶尤妙。先焙芽令燥。入磨細碾。以供点試。
末茶はもっともすぐれている。まず茶芽をあぶって乾燥させ、それから茶臼で粉末にする。それを点茶する。
とある。これこそ散茶を挽いて抹茶にした良い例。
もっと面白いのは、この文章には、
南方雖産茶。而識此法者甚少。
ということが出てくる。これは、元代において散茶の方が優勢だということを意味している。だから、元代が宋代茶を引き継いで餅茶が一般的であったということも、果たして堂なのだろうかと疑問に駆られる。
餅茶は、王族、貴族に間だけで一般的であったわけで、明代の朱元璋(洪武帝)が餅茶を「農民を疲弊させる」という理由で禁止する前から散茶は広がりをみせてたはずなのだ。もっとも、朱元璋は農民の出身で、餅茶を飲んだことが無くて、「わしに献上するのなら散茶にしろ!」といったんじゃないかと思うのだが(笑)。
まあ、元がそのまま宋の茶文化を100%引き継いだと考えるのも、やや危険なのだが、おそらくは皇帝を中心とした中央の政府高官などと寺院を中心にした僧侶の茶が違うなんてことはありそうなことだ。
ほんと、お茶の歴史は多様性があって、おもしろい。
小川先生が名古屋などで主催していらっしゃる「茶経」の講座、是非参加したいものだ。でも、東京では午後3時半からという、確実に参加できない時間帯の開催なので、あきらめるしかない。
お家元でありながら、非常に温和で優しく、そしてさまざまな話をしてくれる小川先生にすっかり惚れてしまった(笑)。小川先生と仲のよい茶輪さんにちょっと嫉妬(爆)。
角山先生は、日本の茶がヨーロッパに伝わって、もてなしの心も一緒に伝播したことや、茶の湯の発展に広く寄与した堺から、早い段階で煎茶茶碗のようなものが出てきた事実などを、80歳を超えてらっしゃるとは思えないほど、実にはきはきと、説明してくださった。
そして最後に、両者の対談ということなのだが、妙に角山先生のテンションがたかくて、様々な話をされるので、対談というよりは、角山先生の話に小川先生があわせるみたいな感じになってた。
特につい最近「茶とツーリズム」という本を入手され、茶と観光業のかかわりについて解き明かされているこの本が気に入られているようで、この話もながながとされていた。
確かに、われわれのような茶フリークが増えれば増えるほど、茶文化や茶の産地を訪問する観光客が増えるというのは事実だよなあ。実際、時間とお金のある女性の多くが、大陸や台湾に茶つくりを見に行ったり、資格を取りに行ったり、観光化している部分は多大にあるからなあ。なかなか面白いテーマだった。
『英国紅茶論争』で有名な滝口明子先生もこられてたし、辻調理師専門学校の福富先生や料理研究科の徳永さんもきてたし、このイベントはすごいなあ。
講座終了後は、祇園菱岩の半月弁当。

お弁当撮影会。座った状態で、50mmマクロだと、やはり取りたい範囲まで押さえきれないので、そんなときには、広角マクロいいよなあ。
で、肝心のお弁当だが、量はすくなかったのだけど、一品一品がおいしくて、さすが菱岩だとおもった。こういうお弁当をじっくり食べるというイベントもなかなかのもの。ご馳走様。

僕がホームページ担当している京都の紅茶屋さんラ・メランジェがおととしから開催しているお勉強サロンで、今回はイギリス経済史の大御所で『茶の世界史』の著者である角山先生と、小川流煎茶家元の小川後楽さんの対談なのだ。
こんなビッグなこの組み合わせのイベントはそうそう実現しないし、さらに今回は衣棚通 御池下るの町屋、ちおん舎が会場ということなので、絶対に参加しないととおもってたのだ。
で、Cha Cha Cha Salonとにかくビックネームの対談とあって、北は北海道、南は九州から、普段の3倍近い方々の参加を得て開催となった次第。
会場をうろうろしながら、先生方の顔写真をばしばし写してたが、やはり町屋は暗い。さらに雨も降っているので、これはもうフラッシュをたくしかないということで、フラッシュばしばし炊いてたのだが、どうも、電池がなかったらしく、いまいちだ。やはり室内撮影は三脚使って、ちゃんととらんといかんなあ。

まずは小川先生のお話が30分。
陸羽の茶経から煎茶への道筋をおいながら、煎茶の来た道や日本での発展の概要をお聞きした。
中国茶フリークとしては、唐代に形作られた茶の道が、その後の様々な中国国内の乱れによって日本にもたどり着いたというのは大層面白い話だった。 中国で内乱がなければ、隠元禅師も日本にやってこなかったかもしれない。そうなったら、今の煎茶道も大きく変わってたのだろうか。
ただ、一つ気になったのは、栄西が中国から持ち帰った茶が「散茶を抹茶にしたもの」であった理由が、栄西の滞在が短く、宋の茶作りの技術を導入できなかったとおっしゃった点。
それには僕なりの見解がある。つまり、宋の時代は、餅茶だけではなく、散茶があったのだということ。特に寺院では、散茶を作っていたわけで、その飲み方として、末茶と煎茶があった。
だから、僧侶だった栄西がこの「散茶から抹茶を作る方法」を持ち帰ったと考えるのが自然。でも、日本人の研究者は、宋=餅茶という風に思い込んでいるので、そういう話が出てこないのが残念だ。
やはりこのあたりは、寺院などに保存されている書物の分析が必要なんだと思うのだが、日本では研究が全然進んでいない。
宋の茶をそのまま引き継いだ元の王禎の『農書』には、
末子茶尤妙。先焙芽令燥。入磨細碾。以供点試。
末茶はもっともすぐれている。まず茶芽をあぶって乾燥させ、それから茶臼で粉末にする。それを点茶する。
とある。これこそ散茶を挽いて抹茶にした良い例。
もっと面白いのは、この文章には、
南方雖産茶。而識此法者甚少。
ということが出てくる。これは、元代において散茶の方が優勢だということを意味している。だから、元代が宋代茶を引き継いで餅茶が一般的であったということも、果たして堂なのだろうかと疑問に駆られる。
餅茶は、王族、貴族に間だけで一般的であったわけで、明代の朱元璋(洪武帝)が餅茶を「農民を疲弊させる」という理由で禁止する前から散茶は広がりをみせてたはずなのだ。もっとも、朱元璋は農民の出身で、餅茶を飲んだことが無くて、「わしに献上するのなら散茶にしろ!」といったんじゃないかと思うのだが(笑)。
まあ、元がそのまま宋の茶文化を100%引き継いだと考えるのも、やや危険なのだが、おそらくは皇帝を中心とした中央の政府高官などと寺院を中心にした僧侶の茶が違うなんてことはありそうなことだ。
ほんと、お茶の歴史は多様性があって、おもしろい。
小川先生が名古屋などで主催していらっしゃる「茶経」の講座、是非参加したいものだ。でも、東京では午後3時半からという、確実に参加できない時間帯の開催なので、あきらめるしかない。
お家元でありながら、非常に温和で優しく、そしてさまざまな話をしてくれる小川先生にすっかり惚れてしまった(笑)。小川先生と仲のよい茶輪さんにちょっと嫉妬(爆)。
角山先生は、日本の茶がヨーロッパに伝わって、もてなしの心も一緒に伝播したことや、茶の湯の発展に広く寄与した堺から、早い段階で煎茶茶碗のようなものが出てきた事実などを、80歳を超えてらっしゃるとは思えないほど、実にはきはきと、説明してくださった。
そして最後に、両者の対談ということなのだが、妙に角山先生のテンションがたかくて、様々な話をされるので、対談というよりは、角山先生の話に小川先生があわせるみたいな感じになってた。
特につい最近「茶とツーリズム」という本を入手され、茶と観光業のかかわりについて解き明かされているこの本が気に入られているようで、この話もながながとされていた。
確かに、われわれのような茶フリークが増えれば増えるほど、茶文化や茶の産地を訪問する観光客が増えるというのは事実だよなあ。実際、時間とお金のある女性の多くが、大陸や台湾に茶つくりを見に行ったり、資格を取りに行ったり、観光化している部分は多大にあるからなあ。なかなか面白いテーマだった。
『英国紅茶論争』で有名な滝口明子先生もこられてたし、辻調理師専門学校の福富先生や料理研究科の徳永さんもきてたし、このイベントはすごいなあ。
講座終了後は、祇園菱岩の半月弁当。

お弁当撮影会。座った状態で、50mmマクロだと、やはり取りたい範囲まで押さえきれないので、そんなときには、広角マクロいいよなあ。
で、肝心のお弁当だが、量はすくなかったのだけど、一品一品がおいしくて、さすが菱岩だとおもった。こういうお弁当をじっくり食べるというイベントもなかなかのもの。ご馳走様。
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